林檎は落ちる

ネイサン(フィギュア・スケート)とフルートの日々をのんびり綴ります。

JOにネイサン・ゲスト出演ってマジですか?

最近、テレ東さんのツイが企画した「JOの名場面総選挙」

いろいろ物議を醸しておりました。

 

実は私もちょっと( ,,`・ω・´)ンンン?と思い、

かなり毒を含んだ記事をしたためておりましたら

 

ちょちょちょっとまってまって💦

これって本当ですか⁇

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ネイサン・ゲストだぁぁ~~🤩🤩🤩

 

www.tv-tokyo.co.jp

THE ICEが現役最後の生ネイサンと思っていたら、来てくれるんだ…

もう嬉しくて涙腺崩壊しそう😂😂😂

 

えぅ?でも大学はどうするの⁇💦

「ちょっと日本まで行ってスケートしてくる!」

ってな感じでフットワーク軽すぎませんか?

ファンは大歓迎ですけどね🤗🤗🤗

 

マライアとジェイソン💖

ネイサンはきっと嬉しいね。

ジェイソンが来てくれるとまたいろんな舞台裏のワチャワチャが見れます。

楽しみだ~。

 

ミハルが来てくれるなんて思ってもみなかった。

グラッスルくんすっかりTHE ICEでおなじみになりました。

 

そして、日本からはこのメンバー💖

いよいよゆまちさん登場ですね。

 

昌磨くんも好きだけど、個人的にはゆまちさんのスケートが好みかな。

どれくらい進化しているかも楽しみです。

 

 

実は今年はネイサンは出ないものと思って遠征するつもりは全く無く、

情報も全く追ってなかったのでまさかの不意打ちです😅

にわかに参戦モードが高まってまいりました。

 

その頃にはコロナが多少とも鎮まっていることを期待して…

チケット申し込んでみましょうか!!

 

またネイサンに会える🥰

 

 

 

 

 

さて、TL見てたらネイサンについてこんな記事が紹介されていました。

2月23日の記事だから五輪直後に出たものですね。

www.yomiuri.co.jp

会員記事ですが冒頭部分にネイサンの紹介が…

 

彼が決して恵まれた環境でスケートをしてきたエリートではなく、

マイケルワイス財団の支援があって今の金メダリスト・ネイサンチェンがあることが紹介されています。

しかも4年前の平昌五輪前のインタビューを引用されてるって凄いです。

 

日本でも金銭的に余裕のない若者への奨学金制度の重要性を説いた記事。

こういう記事でネイサンが紹介されるのは本当に嬉しいことです。

若きスケーターを支えた元フィギュア選手

 「マイケルが私のキャリアをスタートさせる資金を出してくれた。それがなければ、今の自分はありえない。私にはスケート以外にもやりたいことがたくさんある。マイケルがしてくれたように、若いスケーターたちを助けることに非常に興味がある(I’m actually very interested in doing, helping young skaters.)」

2018年の平昌五輪直前。4年後の北京五輪で金メダルに輝くことになる男子フィギュアスケートのネーサン・チェン選手は、米紙USAトゥデーの取材にこう語っている。

 マイケルとは、1990年代後半から2000年代初めにかけて活躍した米国のフィギュアスケート選手、マイケル・ワイス氏のこと。長野五輪ソルトレークシティー五輪に出場した経験を持つワイス氏は、将来性のある若いスケーターを支援する奨学金制度を運営していた。お金に余裕がない家庭環境で育ったチェン選手は、スケートを習い始めたころ、ワイス氏から200ドルの資金を受け取り、新しいスケート靴を購入したという。メキメキと上達していくチェン選手に対し、ワイス氏の財団は支援を継続。支援額は10年間で約7万5000ドルに及んだ。

 北京五輪で表彰台の真ん中に立ったチェン選手は、その後の記者会見で、現役を続けるかどうか明言しなかった。4年前の発言を、実行に移すつもりなのかもしれない。

 

 

その言葉を裏付けるように積極的にチビッ子たちのコーチをやってるんですね。

"#Nathanchen にはスキルと忍耐力があるので、まるで心温かいお兄さんのように、レッスンを子どもたちの大好きな面白い交流に変えてくれます。

彼のクラスは、他のコーチのクラス10個分の価値があります。"

 

「男性コーチの指導を受けたことがないメイメイは男性コーチを紹介されると、泣いてしまうこともあったそうです。
初めてネイサンのクラスを受ける前、学校の先生が #ネイサン・チェン の話をした時も、とても緊張していたそうです......"(2/2)

 

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https://twitter.com/lingling_to/status/1558067883049193473

ネイサン先生の教え方って本当に上手だな~~って思う。

 

北京五輪の感動から既に半年たってしまったんですね。

こちらはラファの記事。

usfigureskatingfanzone.com

ラファエル・アルチュニャンは、フィギュアスケーターになるはずではなかった。
 
7歳のとき、ソビエト連邦で育った彼は、隣人から「町に新しくできたスポーツをやってみたら」と母親に薦められた。
 しかし、ソ連では、そう簡単に入門できるものではなかった。
 
試験官たちは、『君の両親は背が低すぎる、小さすぎる』と言い、私を採用しませんでした」とアルチュニャンは言う。

「当時は、フィギュアスケートの選手は背が高く、体も長身で、俳優のような格好良さがありました。今は、まったく変わってしまった。小さければ小さいほどいいんです。でも、あの頃は、どちらかというと、ダンサーみたいな感じだったんですよ。だから、私は相手にされなかったんです。
 
「父はどうにかしてコネクションを見つけたようです」と笑いながら付け加えた。

アルチュニアンは、フィギュアスケート界から閉め出されそうになったことから、長い長い道のりを歩んできた。

それから58年、彼はプロスケーター協会(PSA)と米国フィギュアスケートのメンバーからなる委員会によって、2022年のコーチ・オブ・ザ・イヤーの一人に選ばれた。

彼は過去に2015年と2016年にこの賞を受賞しており、チームメンバーのベラ・アルチュニアン(妻)と、同じく2016年に受賞したナデズダ "ナディア "カナエワとともに賞を受け取ります。
  アルチュニアンにとって、ネイサン・チェンとマライア・ベルを全米優勝とオリンピック代表入りに導き、チェンをオリンピック金メダル、イリア・マリーニンを全米銀メダルと世界ジュニア選手権、アレクサ・ニーリムとブランドン・フレージャーをオリンピックと世界選手権に導いた今年の成功が報われたことは、計り知れない満足感で一杯です。
  一人で受賞するよりもさらに満足なのは、チームとともに賞を獲得したことです。初めて受賞した2015年当時は、コーチは個人でノミネートされていたが、2016年はチームと一緒に受賞した。今は、ほとんどのコーチがチームも含めているそうです。

 
"最初にそう言ったのは私ですが、私はただ、私のチームを一緒にして、『自分ひとりでその賞を取るつもりはない』と言ったんです。私を支え、優勝したスケーターたちを支え、私を助けてくれたチームと一緒にいたいのです』と、アルチュニアン選手は語っています。

「...誰も一人では動かない。チームなんだ。工場なんだ。とてもクールだ」。
 
アルチュニアン自身も、伝説的なコーチングチームの一員であった。
  18歳のとき、競技者としてのスケートをやめてからコーチを始めた。その4年後、彼の教え子がソ連のジュニア選手権で優勝し、ISU世界ジュニアフィギュアスケート選手権で6位に入賞した。それ以来、彼のスケーターのひとりは国際大会に出場するようになった。
 
1980年のことである。
 「もう40数年ですよ」と彼は笑う。「面白いのは、私がネイサンを教え始めたとき、すでに35年の指導経験があったことです。世界チャンピオンになった生徒も何人かいる。だから、自分のやっていることは基本的に分かっていたんだと思う」。
 
アルチュニアンは、ソビエト連邦とロシアでコーチの道を歩み、1996年から2000年まで、ロシア代表チームのコーチとして、タチアナ・タラソワやアレクセイ・ミシンのような象徴的なコーチとともに指導していました。ロシアではまだ明るい未来が待っているように見えたが、彼はソ連のシステムにどうしてもなじめなかった。
 

 アルチュニアン選手は、「システムに完全に溶け込む必要がありますが、私は、それが好きではありませんでした」と語っています。"僕としては、自分のやること、フィギュアスケートについて考えることを自由にしたかったし、自由に判断して、成功したかったんだ "と。
 
でも、あまり成功したとは言えません。
 
「何度かアメリカに来て、フランク・キャロルが6歳の女の子に教えているのを見たことがあるんです。「ロシアでは、あのようなことは決して起こらない。あのレベルのコーチは、こんな若い子に教えることはない。なぜなら、あのレベルのコーチは、たいていの場合、ハイレベルのアスリートたちが、何をすべきか、どこでトレーニングすべきか、特別なアドバイスを求めにやってくるからだ。フランクが6歳の女の子に教えているのを見るたびに、私はそれが好きになりました。そうすると、象徴的な、特別な、スターコーチになるのではなく、より地に足の着いた存在になるのです。私は、普通のルーツを持った、普通のコーチでありたいと思います。地に足をつけて。天使のように、象徴的な、特別な存在にならないようにね」。
 
アルチュニアン氏は2000年に渡米し、カリフォルニアに居を構えたが、それからのことはよく言われている。ミシェル・クワンサーシャ・コーエンジェフリー・バトル浅田真央アシュリー・ワグナーアダム・リッポンを指導し、彼ら全員との思い出を大切にしてきた。
 
しかし、彼の輝かしいキャリアの中でハイライトを挙げるなら、この2月以外にはないだろう。
 「ネイサンは、完璧なタイミングで、完璧な結果を出し、オリンピックで間違いなく優勝するような選手だった。誰も彼に近づくことはできなかった」とアルチュニアンは言った。「ネイサンは、彼が11歳のときに始めた私のプロジェクトだった。私は、彼らがいくら払うのか、どう払うのか、何をするのか、見ていなかった。最後まで一緒にいて、私を信頼してくれることだけが望みだった。そして彼らはそうしてくれたし、彼は間違いなく勝った。11年間の仕事だったんだ」。
 
選手たちを最高峰まで育て上げたアルチュニアンにとって、やり残したことはない。
 
「私のところに来て、アドバイスをしてあげたいんです。「西か東か、どちらに行けば正しい避難所に行けるか、正しい場所に行けるか。そうでないと、砂漠で道に迷って、水も食料も何もなくて死んでしまう。私は、迷子にならないために、どの方向に行けばいいのか、よく知っているのです。
 
「私は自分の経験を埋没させたくはない。誰かに受け継いでもらいたい。もしかしたら、誰かが現れるかもしれない」と、彼は笑いながら言った。

「それだけが望みだ。私は本当に幸せ者だ。私はすべてを手に入れた。

いや!いや!欲しいもの以上に手に入れた。

 本当に、そんなに欲しいものはなかったんだ。

少しは欲しかったけど、もう少しだけ手に入れた。少しじゃない。もっとだ"

Rafael Arutyunyan watches from the sidelines during the 2018 Winter Olympics.

 

ラファ、本当におめでとう💖

ネイサンと出会ってくれて、ネイサンのコーチになってくれて本当にありがとう。

 

マイケルワイス財団の支援があって、理解あるご家族の強力なサポートがあって

ラファとの出会いがあって、そのすべてが北京に繋がっていたんですね。

 

ネイサンが金メダリストで本当に本当に良かった。

半年経った今、しみじみと実感しています。